バランス感覚を養う 経済と宗教と政治 川越市のおかやす学(岡安学)です。 2005年の著書で、作家の五木寛之さんは、経済と宗教と政治を、車に例えて、こう言っています。 経済は、アクセルだ、と。 宗教は、ブレーキだ、と。 政治は、ハンドルだ、と。 車は、ブレーキがないと、暴走してしまい、安全に走ることができない、と言うのです。 経済と政治が世間の論理を代弁するのであれば、宗教は、それとは反対のことを言わなければならない、と言うのです。 宗教は、そういう意味では、わたしたちの常識に揺さぶりをかけてきます。 だから、わたしたちにとって非常識と思われる献金(お布施)の問題も出てくるのです。 お釈迦さまは、弟子たちに、裕福な村ではなく、あえて貧しい村へ行って、托鉢行してくるよう諭されました。 他人に施さず、自分のことばかりを優先してきた過去の因縁が、貧しさに苦しむ原因だから、貧しい村の人たちに徳を積ませようとしたのです。 もし、お釈迦さまが、托鉢行を、私利私欲のためにしているのであれば、裕福な村へ行けば済むことでした。 でも、この因果の道理をわたしたちは信じることができるでしょうか。 因果の道理を悟ることができないのがわたしたちなのではないでしょうか。 宗教が持ち出して来る物差しと、わたしたちが生きていくために必要な物差しとでは、大きなズレが生じるものです。 でも、だからこそ、不条理な体験をすることで、宗教に目覚める人もいます。 経済、宗教、政治のバランスを取る。 宗教に依存してブレーキばかりを踏み続けていると、いつかそのブレーキも制御不能となって、暴走します。 原理主義やカルト教団がその歴史から教えてくれています。 最近は、経済も、宗教も、政治も、そのボーダーラインがわからなくなってきています。 得体の知れない車を走らせているのは、経済なのか、宗教なのか、政治なのか、そういう視点を持つことも大事なことです。 関連