上に立つ者の器(うつわ)

人間性が怒りを鎮める

川越市のおかやす学(岡安学)です。

2020年6月10日の拙著ブログ記事を加筆修正しての再掲です。

西中 務さんは、キャリア47年のベテラン弁護士です。

この西中さんが『1万人の人生を見たベテラン弁護士が教える 運の良くなる生き方』という著書を、東洋経済新報社発行で、書かれています。

その中で、弁護士は悪い人の末路を知っている、と述べています。

悪いことで得た成功は長続きせずに、すぐに不幸になってしまう、というのです。

仏教のいうところの悪因悪果ということなのでしょう。

この著書の中で、経営者とは何なのか、考えさせられるお話が書かれていたので、ご紹介させていただきます。

ある住宅販売の会社に勤めている人が、西中さんのところへ相談に来ました。

それは、会社の自分に対する評価、査定に不満があるとの相談でした。

サラリーマンは、評価や査定が低いと、昇進や昇給にも影響が出てきます。

西中さんは、依頼を受け、事実を調査することにしました。

が、その人は、調査の結果が出るまで、我慢できずに、その会社の社長に直談判したのです。

出社して、すぐに社長室に乗り込んだその人が見た光景は、社長が壁に向かって深々と頭を下げているものでした。

訝(いぶか)しげに思い、壁のほうを見ると、びっしりと夥(おびただ)しい数の写真が貼ってありました。

社長は、彼の姿にようやく気づいて言いました。

どうしたんだい?

この多くの写真はなんなのですか? なぜ、写真に向かって、頭を下げられているのですか?

ああ、これは、君たちの写真だよ。毎朝、会社に来ると、写真に向かってお礼を言うんだよ。皆さんのおかげで、会社が運営できます。ありがとうございます。皆さんも幸せになれますように、とね。

その人は、信じられない様子で、なにも言わずに社長室を出ました。

そして、隣の部屋にいた秘書に、そのことを尋ねると、すべて事実であることがわかりました。

それだけではありませんでした。

秘書がこう言いました。

社長は、全社員のことをよくご存じなんですよ。ご両親はどうしているのか、お子さんはどうしているのか、いつも気にしています。社員の身内に何かあれば、相談に乗るんです。この間も、社員の肉親が交通事故に遭われて、社長は、すぐに病院へお見舞いに行っていました。入院費用は大丈夫か、困っていたら用立てようかと相談に乗ろうとしていました。自分が見舞いに行けないときには、私たち秘書が代理で行くように言われています。社長は、いつもそうやって社員のことを考えているんです。

その事実を知って、その人は、査定の不満から裁判まで起こそうと思っていた怒りがスッと消えてしまったそうです。

その社長の人間性の高さが、その人の怒りを鎮めてしまったのです。

経営者の器は、資質や能力ではありません。

人間性の高さなのです。

資質や能力があっても認められない人がいます。

それはなぜなのでしょうか?

檀家さんが入院されて、お見舞いに行く住職がどのくらいいるのでしょうか。

亡くなってから、葬儀の依頼を受けて、亡骸(なきがら)に手を合わせに行くのが、常ではないでしょうか。

しかも、お布施も、通夜はいくら、葬儀はいくら、初七日はいくら、法名(戒名)はいくらと、金額を伝えて、遺族に要求する、あさましいお寺もあります。

そのあさましさと無明の闇の中にいるわたしもその一人です。

罪業の炎に焼かれているわたしは、ただ念仏するばかりです。

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