生きることに疲れるとき

堪(た)え忍(しの)ぶ世界

川越市のおかやす学(岡安学)です。

生きていると、人は誰しも、生きることに疲れることがあります。

しかし、仏教では、こう諭(さと)すのです。

この世の中は、堪(た)え忍(しの)んで生きていかなければならない世界だ、と。

『仏説阿弥陀経』に娑婆国土(しゃばこくど)という言葉が出てきます。

ドラマなどで、刑期を終えた人が、「娑婆(しゃば)の空気はうまい」というセリフを耳にしたことがあると思います。

その「娑婆(しゃば)」は仏教用語で、「サハー」といい、忍耐を意味します。

娑婆世界は、堪忍土(かんにんど)と訳されます。

堪忍土とは、苦悩に堪(た)え忍(しの)ばねば生きていけない世界のことです。

なぜ?

この世は、苦だからです。

仏教でいう「苦」とは、自分の思うとおりにならないことを意味します。

思いどおりにならないから、悩むのです。

だから、苦悩と言うのです。

生きるということは、自分の思いどおりにならないのです。

だから、自分の思いを拠り所にして生きていると虚(むな)しくなるのです。

だからと言って、思いや願いを抱いて生きていくな、とは言っていません。

思いや願いを抱いていてもいいのです。

わたしたちは、仏さまではなく、人間だからです

ただ、それに執着(しゅうちゃく・こだわること)して苦悩するのなら、手放して、おまかせする、運を天にまかせることもできるのです。

そういう生き方を教えてくれるのが他力の仏教なのです。

こんなに一生懸命努力していても少しも報われないという人もいます。

努力の語源は、「奴隷」にあると言われています。

力ずくで働いていませんか。

報いを求めて、働くのならば、疲れるだけです。

「他力(たりき)」という「仏さまのはたらき」は、「自力」を否定したり、「努力」を否定したりするものではありません。

ただ、この世の中にはどうにもならないことがあります。

そのようなとき、「仏さまのはたらき」である「他力」という世界にゆだねてみる。

肩の力を抜いたとき、見えなかった風景が見えてきます。

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