親ガチャ

不条理の中で生きる ①

川越市のおかやす学(岡安学)です。

「親ガチャ」という言葉を耳にします。

ガチャガチャという小型自動販売機があります。

硬貨を入れて、回転式のレバーを回せば、おもちゃの入ったカプセルが出てきます。

「親ガチャ」は、ガチャガチャの自動販売機のおもちゃのように、こどもが親を選べない、という意味で使われています。

容姿や性格も含め、受け継ぎたくない遺伝子を持って生まれてくるかも知れません。

家庭環境も、すべてが恵まれた環境に生まれてくるとも限りません。

「親ガチャ」は、ガチャガチャのおもちゃがハズレたと思っているこどもの側が使う言葉です。

それに応酬するように「子ガチャ」という言葉もあります。

親もこどもを選べないということです。

スピリチュアルな仕事をしている人は、子は親を選んで生まれてきている、という言葉を言ったりします。

親も子を選んでいる。

偶然ではなく、必然だ、と。

お互いがたましいの学びのために産み、生まれてきている、と。

でも、虐待等で殺されてしまったこどもや自死してしまったこどもの因果をスピリチュアルな視点で語っている言葉を未だ見たことはありません。

きれいなことは語れても、この世の不条理は語らないのです。

不条理とは、自分ではいかようにも出来ない難題であり、どうしようもないことです。

子は親を選んで生まれてきている。

親も子を選んで生まれてきてもらっている。

その言葉に落ち着ける人は、その言葉の中で生きていけばいいのです。

でも、「親ガチャ」、「子ガチャ」、この世は不条理だと思い込んで、そういう世界の中でしか生きていけない人は、無理をして、自分の心に蓋をして、きれいな言葉の中で生きる必要はないのです。

なんて、この世の中は、不条理なのだ。

そう言って、その真っただ中で生きていけばいいのです。

ただ、そのときには、必ずどこかで不条理を体験して、不条理に苦しんだ人がいると思います。

そういう人の体験や苦しみを手がかりにして、自らの不条理を解決していくこともできるのです。

最近は、カルト宗教のために、宗教そのものにアレルギー反応を起こす人もいます。

でも、ほんとうの宗教というものは、不条理の真っただ中にいても、不条理を不条理のまま受け入れ、それを乗り越えていく力を与えてくれるものである、とわたしは考えます。

次回は、父親の自死をきっかけに世を捨てて、不条理の真っただ中に生きた良寛(りょうかん)という僧侶に触れたいと思います。

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