においがするとき

永久不変なものなどない

川越市のおかやす学(岡安学)です。

不思議な話が苦手な方は、読まないでください。

ある霊園で、墓前の法要をしていたときのことです。

お経を上げていると、一瞬、鼻を突く、刺激的な香りがしました。

周りにある植物に目をやりました。

それらしき香りを出すものはありませんでした。

墓前にお供えした花からなのか、と目を凝らしましたが、菊の花なので、匂いを放つものではありませんでした。

そうやって匂いのもとを探っていると、どういうわけか匂いがしなくなるのです。

しばらくすると、また、香水のような香りがします。

どうやら、わたしのまわりに漂っている匂いではなく、わたしにしか感じない匂いなのだ、と思いました。

お経が終わると、その匂いはなくなりました。

お勤めが終わり、ふとご遺族に対して、尋ねていました。

あのお、すみませんが、お亡くなりになった奥さまは、香水がお好きな方ではなかったですか、と。

すると施主の方は、まぶしそうな顔をして、言いました。

はい、家内は、香水がとても好きでした。どうしてわかったのですか?

いえ、香水の香りがお勤めをしているときだけ、しましたので・・・。

そうですか。そばにいるんですね。

わたしは、黙っていました。

先日は、このようなことがありました。

葬儀がありまして、あるセレモニー施設に車を停めますと、担当者の男性の方が車のそばに来てくださいました。

お荷物をお持ちします、と言ってわたしの法務ケースを持ってくださいました。

そのときは、なにも感じなかったのですが、その方の後(あと)をついていくと、強い臭いが一瞬鼻を突きました。

真夏ではないのに、体臭にしては変だと思いました。

しかも、葬儀の打ち合わせを、僧侶控室で、その担当者の方としても、強い臭いはまったくありませんでした。

人の身体は、「六根(ろっこん)」で成り立っています。

眼、耳、鼻、舌、身、意の六つです。

意は、第六感であり、意識であります。

この身体の感覚器官は、眼は色(しき)、耳は声(しょう)、鼻は香(こう)、舌は味(み)、身は触(しょく)、意は法(ほう)という「六境」で対応しています。

般若心経というお経に「無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)」というお言葉があります。

感じたこと、認識したことにこだわるな、という意味です。

変化しない実体などないからです。

においがわたしの鼻を突いたり、消えたりするのも、外界が絶えず移り変わっているからなのだと思っています。

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