寂しさで死ぬ

寂しさで気が狂うこともある

川越市のおかやす学(岡安学)です。

東日本大震災の被災者で、この10年間で、240人の方が、自死されているそうです。

瀬戸内寂聴さんの過去の本を読んでいたら、阪神淡路大震災の被災者の自死に触れていました。

ようやくくじ引きで当たって、仮設住宅に入れても、孤立感から、生きる意欲がわかないのです。

寂聴さんは、このように書いています。

今の日本では、人間が貧乏で食べるものがなくて死ぬということはまずないと、私は思います。

貧乏では死なない。病気でもなかなか死なない。お医者さんが何とかして生かそうとしますから、昔のように簡単に死ねません。

しかし、寂しさで死ぬことはあるんです。

寂しさで気が狂うこともあれば、寂しさで死ぬこともあるんですね。

ネットを見ていたら、孤独死と孤立死の違いがあるようです。

孤独死は、近所つきあいがあって、こどもとのつながりがあって、けれども、たまたま持病などで、死に際を誰にも気づかれなかったことだそうです。

孤立死は、社会との接点がなく、誰とも人付き合いがなかった中で、ひきこもり続けた結果、亡くなったことを意味するそうです。

そう思うと、孤立死は、ゆるやかな自死と言えるのではないでしょうか。

絶望的な寂しさに苛(さいな)まれていたのではないでしょうか。

自分を大切にいたわれる人は、ある意味で、健康なのです。

人は、生活苦でも、病苦でも、なかなか死ねない。

でも孤立を深めたときの寂しさで死ぬことがある。                                                

仏法や説教をありがたいものと説く以前に、その寂しさと向き合う僧侶や牧師などの宗教者の在り方が問われています。

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