シンクロニシティ

自分の素直な気持ちに耳を傾ける

川越市のおかやす学(岡安学)です。

最近、シンクロニシティをよく体験するようになりました。

シンクロニシティとは、意味のある偶然の一致のことです。

過日、精神的な行き詰まりを感じていたとき、一本の電話をいただきました。

ご縁をいただいた方からの電話でしたが、実は、その方のことを思っていたときに、偶然、電話がかかってきたのです。

その電話で救われる思いがしました。

そして、その方からご紹介していただいた方とお会いしたら、なんとわたしが愛読していた本の著者のご子息だったのです。

この流れは、なんなのだろうか、と思いました。

このようなこともありました。

キックボクシングのジムでいつも顔を合わせていた人が来ないことを気にしていました。

その人はいつも両足のふくらはぎに厚めのサポーターをされていたのが印象的だったのです。

そんなときに、わたしは、練習中に、右足ふくらはぎの肉離れを起こして、怪我をしてしまいました。

ちなみに、スポーツで怪我をするリスクが高まるときは、身体が疲れていたり、メンタル面で不調を抱えていたりするときのような気がします。

わたしも怪我をしたとき、不思議と、その日に限って、気持ちも、身体も、練習を望んでいませんでした。

でも、練習後の爽快感があることも知っていたので、義務的に練習していました。

怪我をして間もなく、本屋さんで、偶然、ジムに来なくなった人と会いました。

立ち話をしたとき、その人がジムに行けなかった理由が、出張があったりして、仕事が忙しかったとのことでした。

自分が肉離れの怪我をしてジムを休んでいることを伝えると、その人も、以前、両足のふくらはぎをそれぞれ肉離れしたことを教えてくれました。

スピリチュアルの視点で言えば、右足の怪我は、仕事において男性の上司や部下との関係に問題を抱えているおそれがあることを示唆し、そのことで起こる問題でキャリアを阻まれることがあるそうです。

身体の右側が男性性を、左側が女性性を表すそうです。

実は、そのときのわたしは、男性の上司との間にわだかまりを感じていました。

しかも、その上司は、右脳の脳出血の後遺症で、左半身が不自由で歩くことがままならなかったのです。

右ふくらはぎの肉離れを起こしたわたしも、痛みから、しばらく、歩くことができませんでした。

わたしは、その上司の、歩くことができないという疑似体験を通して、その苦しみを感じていました。

わだかまりを手放すときが来ているというわたしへのメッセージでもあったのでした。

この怪我によって、いままで運動することで発散していたストレスの原因と向き合わなければならなくなりました。

しかし、そのことで、禍を転じて福と為すではないけれど、自分の進むべき方向性を確かめることができました。

ただし、今は進むべきときではない、というメッセージも受け取っていました。

そうして、自分のほんとうの気持ちと向き合うことで、新たなご縁を深めることができました。

抽象的な表現ばかりを書き連ねてわかりづらいかと思われますが、要は、身の上に起こったことが、単なる偶然ではなく、すべてに意味があることなのだ、ということを言いたかったのです。

その意味という電波を、自らのアンテナで受信できるかどうかは、自分の素直な気持ちに耳を傾ける習慣があるかないかにかかっている、と思っています。

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