立場の逆転(再掲) 役職ではなく、何ができるかが問われる時代 川越市のおかやす学(岡安学)です。 最近、インスピレーションが降りなくて、ブログ記事が書けません。 そんな中で、ぶらりと川越の路地裏を散策しました。 古民家をリフォームしています。 京都の路地裏の風景を感じさせます。 このブログ記事は2015年10月28日に書いたものです。 人から聞いた話です。 AさんとBさんは、同じ会社の同期だったそうです。 Aさんは、出世競争を勝ち進み、会社の部長となりました。 Bさんは、有力派閥に属したり、そうしたボスに取り入ったりするような性格ではなく、マイペースな人柄なため、万年平社員でした。 同期の出世に、Bさんは、全く動揺しなかったわけではないのでしょうが、人は人、自分は自分と、割り切って会社勤めをしていました。 やがて、定年後、AさんとBさんの立場が逆転します。 趣味で始めた書道のサークルにAさんが入会したところ、そのサークルの講師がなんとBさんだったのです。 Bさんは、会社勤めをしながら、書道の世界では、一目置かれる、才能ある存在だったのです。 そのBさんが、サークルの生徒から「先生、先生」と慕われるので、Aさんにとってはおもしろくありません。 Aさんは、なにかにつけて、「俺はBさんと同じ会社の部長だったんだ」とサークルの仲間に過去を誇らしげに語るのですが、だれも「Aさん、すごいですね」と称賛してくれる人はいません。 わたしも、サラリーマンを25年間やってみて、退職してから、つくづく感じることがあります。 組織という狭い世界にいると、部長だ、課長だと、その役職や肩書と、自分自身の価値を重ねてしまいがちです。 が、そうした組織から抜けてしまえば、そのような肩書など、何の役にも立たないものなのだ、ということを。 少なくとも、その組織と何の関係もない人からすれば、「僕は○○企業の部長だった」と過去を聞かされたところで、「それがどうかしたのですか」と口にはしないけれども心の中で思っているものではないでしょうか。 それよりも、今のあなたは何ができますか、と聞かれたときに、はっきりと、これができると胸を張って言えるスキルを身につけている人のほうが魅力的に映るのではないでしょうか。 これから超高齢社会を迎え、定年後の再雇用が当たり前になっているときに、現役時代の肩書にいつまでもしがみついていることはできません。 今から30年前は、まさか年金生活すら危うくなるような少子高齢社会が来るとは思ってもいませんでした。 団塊の世代以降の定年退職者は、今、この現実に戸惑いを隠せないと思います。 特に男性は、意固地なプライドが、第二の人生の幕開けを邪魔している場合もあります。 そういう点では、女性は強いと思います。 70歳になってからでも、新たな分野の勉強を地道に始める方もいらっしゃいます。 年を重ねれば重ねるほど、女性のしなやかで強い生き方を見習いたいと感じることがよくあります。 関連