ほんとうに強い人

自然(じねん)でいること

川越市のおかやす学(岡安学)です。

今年が皆さまにとって素晴らしい一年になることを念じています。

わたしの知り合いの方のお話です。

その方は宮大工(みやだいく)さんです。

宮大工さんとは、神社仏閣の建築や補修に携わる大工さんのことです。

電子工学が専門だったのですが、あるとき、急に宮大工の仕事に魅せられたそうです。

以来、弟子入りして、神社の建築や補修を通して、腕を磨いて来ました。

今は、自分で、建設会社を経営しています。

拙宅の修理を依頼したとき、この方の発する波動がとても優しく澄み切ったものを感じていました。

この神々しい雰囲気は何なのだろうか。

あるとき、わたしは、この方のお顔をじっと見つめて、目尻の傷に気づきました。

あのお、失礼ですが、その目尻の傷は、なにか怪我でもされたのですか。

その方は、一瞬、まぶしそうな顔をして、言いました。

交通事故に遭ったのです。・・・車を運転していたら、対向車線をはみ出した車と衝突して、・・・ランドクルーザーのような大型の車でしたが、フロントガラスの上に乗り上げられて、・・・運転席のわたしは、車体ごと潰されて、車内に取り残されました。

よくそんな状態で助かりましたね。

それが、運が良かったのですが、近くで事故を目撃して停車していた運転手さんが消防レスキュー隊の隊員さんだったんです。その人が機敏に潰されそうになっていたわたしの身体を引きずり出してくれました。

まさに、九死に一生を得た、のですね。

ほうとうにあっという間の出来事でしたのでした。

宮大工さんだと、仕事の数だけ、多くの神さまに仕えてきたので、きっと神さまのはからいで救われたのではないでしょうか、とわたしは心の中で呟いていました。

死んでいてもおかしくないのに生かされている人は、生かされるお役目があるのだと思うことがあります。

そういう人と何人かお会いしたことがあります。

この人はお亡くなりになっていておかしくないのに、それを乗り越えて、今を生きている。

そのような死苦を乗り越えてきた人にある共通の特徴があります。

それは、自然(じねん)なのです。

自然(しぜん)は、外界を取り巻く環境のことです。

自然(じねん)とは、仏教の考え方で、「自(おの)ずから然(しか)らしむ」という意味です。

そのまま、ありのまま、という意味です。

自然(じねん)は、作為がない、のです。

何とかしようとするはからいもない。

自力がない。

生きることに力(りき)みがない。

ただ、そのままを、生きている。

そのままを受け入れて生きているから、ツイている、ツイていない、などという判断もない。

ほんとうに強い人は、そういう人なのだ、と思うことがあります。

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