奇跡のお経②

延命十句観音経

川越市のおかやす学(岡安学)です。

江戸時代の臨済宗の高僧に白隠(はくいん)禅師という方がいます。

白隠禅師は、『延命十句観音経霊験記(えんめいじゅっくかんのんきょうれいげんき)』というお手紙を書かれています。

この延命十句観音経を口にすると、霊験が起きる、と書いています。

瀕死の重病人の病が治った。

処刑されそうだった武将のいのちが救われた。

死んだと思われていた人が生き返った。

との霊験があるそうです。

その延命十句観音経をご紹介します。

以下、原文と読み方です。

観世音(かんぜーおん)

南無仏(なーむーぶつ)

与仏有因(よーぶつうーいん)

与仏有縁(よーぶつうーえん)

仏法僧縁(ぶっぽうそうえん)

常楽我浄(じょうらくがーじょう)

朝念観世音(ちょうねんかんぜーおん)

暮念観世音(ぼーねんかんぜーおん)

念念従心起(ねんねんじゅうしんき)

念念不離心(ねんねんふーりーしん)

その意味は以下のとおりです。

観音さま、あなたさまは仏さま(悟りに目覚めた人)になられるお方です。

そのあなたさまにわたしのすべてをおまかせします。

観音さま、わたしも、あなたさまのように仏さまにならせていただく因縁をいただいています。

仏さまと仏さまの教えとその教えを信じる人たちとのご縁をいただいて、

常・楽・我・浄の仏さまの世界へ参ります。

だから、朝に観音さまを念じます。

夕にも観音さまを念じます。

観音さまを念じることで、わたしの心の中に観音さまはいつもいらっしゃって

わたしの心から離れないでいてくださいます。

この常楽我浄とは、仏さまの四徳と言い、仏さまの姿なのです。

ではわたしたちの姿はどうなのでしょうか。

心も身体も環境も絶えず移り変わっていますから、常ではなく、無常です。

生老病死苦から避けられないのですから、楽ではなく、苦です。

永遠不滅のわたしなど存在しないのですから、我ではなく、無我です。

いつも自分の利益にこだわり、煩悩にまみれているわたしたちですから、浄ではなく、不浄です。

つまり、わたしたちは、無常の中にいて、苦しみの中にいて、無我の中にいて、不浄の中にいて、生きているのです。

一方で、仏さまの世界は、無常も、苦も、無我も、不浄も、超越しているから、常・楽・我・浄の四徳の世界なのです。

苦しいとき、何としても生きたいと思うとき、もう死んでしまいたいと思うとき、騙されたと思って、この奇跡のお経、延命十句観音経をひたすらお唱えしてみませんか。

仏教は、元々、奇跡やエゴ的な現世利益を説く教えではありません。

病気や事故から奇跡的にいのちが助かったとしても、いつかはいのちが尽きるときが必ず来るからです。

お金持ちになりたいと願ってお金持ちになったとしても、名誉や名声が欲しいと願って出世したとしても、いのちが尽きるときにはなにも身につけることができないからです。

でも、奇跡やエゴのために、観音さまを頼っていいのです。

いきなり、仏性や真理または道理に目覚めろ、では、ハードルが高すぎます。

わたしたちの願いに必ず応えてくれる観音さまがそばにいる。

それでいいのです。

ただし、願いが叶わなかったとき、逆に願いが叶わなかったことで、良かったと思えることもあるのです。

だから、願いが叶おうと、叶わなかろうと、すべては観音さまのはからいなのです。

そう受け止められるようになったとき、そう、あなたは、既に、観音さまなのです。

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