不条理を生きた僧侶①

賄賂(わいろ)がはびこる時代

川越市のおかやす学(岡安学)です。

良寛(りょうかん)は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶です。

越後の国、現在の新潟県で生まれ、歌人、詩人、書家としても有名です。

先日、NHK番組の「こころの時代」で、宗教学者の、明治学院大学名誉教授、阿満利麿(あまとしまろ)氏が良寛のことに触れていました。

良寛と聞くと、禅僧でありながら生涯寺を持たず、放浪しながら、こどもたちと日が暮れるまで毬(まり)つきやかくれんぼで遊んで暮らしたという逸話があります。

執着心のない、無欲な僧侶だったので、人々から信頼され、愛されたのです。

良寛の、執着心のない逸話にこのようなものもあります。

良寛のところに、ある夜、泥棒が入ったのです。

が、なにも盗(と)るものがありませんでした。

ごそごそと起き出してきた良寛は、泥棒に、言いました。

泥棒さん、わしの布団があるが、これを持って行きなさい、と。

しかも、泥棒がそっと逃げられるように、自ら裏口の戸を開けて、こう言ったそうです。

今度来るときはもっといいものを用意しておくからまた来なさい、と。

泥棒を送り出したとき、ふと空を見上げると、すばらしい月が出ていました。

そこで一句。

盗人の  とり残しけり  秋の月

そんな良寛でしたが、実は、大変な不条理を経験していたのです。

良寛のお父さんは、山本以南(やまもといなん)と言って、越後の国の名主(なぬし・村役人のこと)でした。

その山本以南は、60歳のとき、自らの命を絶ちます。

名主は当時の江戸幕府権力の末端を担っていた職で、様々な矛盾を解決する現場に立ち会わなければいけなかったのです。

不条理を目の当たりにすることが多かったと考えられます。

組織の末端でその組織を守るために使われる立場にいる人間が持つ不条理。

サラリーマンならおわかりだと思います。

末端のサラリーマンは、組織や経営の矛盾や責任を一身に負わされるのです。

法的に許されているからといって、道義的に許されないことまで、やらされます。

それをわかっていても組織のためにやらなくてはならない。

それがサラリーマンなのです。

それはむごいものです。

そういう中で自分を貫いて生きることは大変なことなのです。

だから、テレビドラマの「半沢直樹」のような人物像に多くのサラリーマンが魅了するのではないでしょうか。

江戸時代後期は、賄賂(わいろ)政治が横行していました。

そういう世渡りが出来ない山本以南は名主の職を奪われそうになります。

そのことを憂えた末の自死でした。

父の非業の死は、良寛にとって、不条理な死そのものでした、

良寛は、若い頃、名主の見習い役をしていました、

が、長くは続きませんでした。

天災や疫病、飢饉の多い時代でした。

当然のように窃盗などの犯罪が多かったのです。

名主の見習いの良寛は、そういう罪を犯した者の死刑にも立ち会っていました。

この世の不条理を身に染みて感じていたのです。

やがて、継ぐはずだった名主の家を捨て、良寛は、22歳のとき、出家し、放浪の旅に出ます。

特に父親の自死の後は、仏道を深めていきます。

そのような良寛が、曹洞宗の僧侶にもかかわらず、本願念仏を心の支えにしていたのです。

次回は、良寛にとって、本願念仏とは何だったのか、触れたいと思います。

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