いのちの代償(再掲)

いのちをかける愛の力

川越市のおかやす学(岡安学)です。

このブログ記事は2018年3月28日に書いたものを再掲しています。

川越市のおかやす学(岡安学)です。

手相家の西谷泰人さんの『占い師からのメッセージ』という著書の中で、印象に残る内容がありました。

それは、「自分の命の代えても・・・」と祈ってはいけない、というのです。

言葉の力はほんとうにあり、軽々しいことを口に出してはいけない、という意味です。

その著書の中に、助手席に中学生の息子を車の乗せ、運転していた父親の話があります。

その父親の運転中に魔が差します。

2、3秒ふと父親が居眠りをしてしまったとき、ブロック塀に乗用車が激突してしまったのです。

息子は、助手席の横の窓ガラスを突き破って、頭をブロック塀に強く打ちつけていました。

息子は、意識不明の重体となりました。

医師からは、99パーセント、意識は戻らないだろうと宣告されました。

父親は責任を感じて、息子を助けてくださいと、必死に祈ったそうです。

絶叫するような祈りだったそうです。

「わたしのいのちに代えても、いいから、どうか息子を助けてください。」

この言葉を口にして、20日目に、奇跡的に、息子さんは意識を取り戻したのです。

それから、わずか1か月後、父親は、体調を崩しました。

膵臓がんでした。

半年後に、43歳の若さで亡くなったそうです。

息子を救うために、いのちをかける。

愛する人だからこそ、できたとも言えます。

でも、ほんとうに、この父親がいのちに代えても、と祈ったために、その代償として、息子は助かり、父親は他界してしまったのでしょうか。

わたしには、その因果はわかりません。

ただ、もし息子が亡くなり、父親が残されたのならば、生き残った父親も辛い人生を送らなければならなかったことは確かです。

そして、2018年3月25日の毎日新聞の「男の気持ち」という投書を読んで、改めて、この世には不思議なことがあるのだなあ、と感じました。

福岡県の本門英機さんという方の「奇跡」という投書です。

以下、引用させていただき、わたしのブログ記事の末筆とします。

3年前の夏、妹の夫から「妻が胆管がんで入院し、余命7カ月と宣告された」と突然の電話があり、目の前が真っ暗になった。3カ月後、献身的に看病する義弟も生存率が低い膵臓がんを発症し、手術不可能なステージ4と診断され、衝撃を受けた。

 夫婦で同じ病院での闘病生活が始まった。当時の妹家族の苦悩や悲しみ、絶望感は想像を絶するものだっただろう。翌年の早春、私の家族が妹を見舞った時、私は妹夫婦の相次ぐ悲運に対して「神も仏もないものか」と無性に腹が立ち、妹が哀れで慰めの言葉も出なかった。

 すると信仰心の強い妹は「大丈夫、私が夫のがんを天国へ一緒に持っていくから」と慈愛に満ちた声でささやいた。その時は、妹の言葉が自らの死後に起こる奇跡を暗示するものだとは私も妻も気づかなかった。

 その年の桜の季節に妹は余命宣告通り、63歳の若さで天国へ旅立った。私は「散る桜残る桜も散る桜」の名句を思い、心の中で天国での再会を誓った。

 傷心の義弟は外泊許可を受け、喪主として懸命に通夜、葬儀をやり遂げて病院へ戻った。直後から奇跡的に症状は回復に向かい、がんは消滅した。腫瘍マーカーも正常値。私には微笑する妹が見えた。主治医は最初、信じられないと驚いていたが、最後は祝福して快く退院を認めた。

 義弟は今、元気にインテリア業に精を出している。ステージ4からの生還は抗がん剤やエックス線治療の効果なのだろうが、私や妻は妹の献身的な愛が起こした奇跡だと信じている。

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