本当にあった怖い話

宗教的ケアの危険性

川越市のおかやす学(岡安学)です。

これは、ほんとうにあった怖い話です。

こどもの自死の通夜の席でした。

その通夜でお勤めをしたある浄土真宗の僧侶が、憔悴しきった母親と言葉を交わす時間がありました。

母親は沈んだ声でこう尋ねてきたのです。

死んだこどもに会えるでしょうか。

僧侶は、言いました。

お母さん、お浄土で、まちがいなく亡くなったお子さんと会えますよ、と。

それから、間もなく、その母親は、こどもの後を追って、自死してしまったのです。

お浄土で会えますよ、と言った僧侶に罪があるのでしょうか。

いわゆる霊能者と称するスピリチュアルカウンセラーならば、必ず、こう母親に伝えると思います。

だけど、お母さん、亡くなったお子さんは、悲しんでいるお母さんの姿を見るのが一番つらい、と言っていますよ、と。いつでもお母さんのそばにいるから、お母さんには精一杯生きてもらいたい、と言っていますよ、と。

生きるか死ぬか、追いつめられている人にかける言葉ほど難しいものはありません。

もし、この浄土真宗の僧侶にカウンセリングマインドがあったのならば、いきなりお浄土という言葉を使って、宗教的ケアをしなかったと思います。

つまり、お浄土で会えますよ、と自分の信仰で、信条として、性急に答えを出さない。

もう少しその母親の言葉に踏み込んで、母親の思いに寄り添うのです。

死んだこどもに会えるでしょうか。

お母さん、亡くなったお子さんに会いたいという思いを、もう少しお聞かせいただけますか、と。

いきなり極楽浄土を説く前に、ワンクッション置くのです。

そのときの母親の悲嘆が深ければ、お浄土などという宗教的ケアは断念するのです。

場合によっては、答えを出さずに、沈黙で寄り添い続けるのです。

なぜならば、この母親は、会えるかどうか、白か黒か、そういう答えを求めているわけではないからです。

会いたいのに会えなくなったこの苦しみ、この悲しみを誰かに受け止めてもらい、だけだからです。

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