お寺の檀家をやめたい人へ 徳のない住職と無理をして付き合うことはない 川越市のおかやす学(岡安学)です。 旧統一教会と政教分離の問題がクローズアップされています。 そうなると、一宗教法人である靖国神社と政治家とのかかわりも見直す必要がありそうです。 宗教法人であるお寺も、世襲制や檀家制など、お寺を「私物化」しやすい制度です。 こうした制度のせいで、宗教法人としてのお寺の、本来求められている「公共性」が、なおざりにされる傾向にあります。 檀家2世などは、ある意味で、「宗教2世」と、実情が、大して変わらないケースもあります。 家計に余裕がないのに、親が信仰熱心で檀家であるお寺に多額のお布施をしていた、などということも実際にあるからです。 あの住職とはつきあいたくない。 あのお寺とは縁を切りたい。 でも、先祖のお骨が、お墓が、お寺の境内地にあって、どうしようもない、とあきらめている方も、案外、多いのではないでしょうか。 住職とは、どういう意味だと思われますか。 住職というのは、住む職という職名です。 文字どおり、預かっているお寺に住んでお寺を管理しているから、住職なのです。 厳格に言えば、そのお寺に住んでいなければ住職ではないのです。 そして、お寺を預かっているのですから、お寺は、住職の私物ではありません。 でも、住職や住職一家が私物化していると思われるお寺がほとんどです。 しかし、お寺が宗教法人を取得している以上、それは住職個人のお寺ではないのです。 宗教法人になるメリットは、お布施は所得と見なされませんので課税出来ません。 お寺の境内地に固定資産税を課税できません。 すなわち、宗教法人法は、その宗教団体やお寺が、公益団体としての公共性を打ち出すことと引き換えに、その財産の保有を保障しているのです。 だから、お寺は、住職のものではなく、あくまで法人のものなのです。 宗教法人を取得している以上、財産であろうと、運営であろうと、法的な規則によって措置しなければなりません。 住職の独断で決められるものなど、本来はない、はずなのです。 また、本来ならば、宗教法人法は、宗教団体が公益団体として、その公共性を失わないように配慮されているものです。 ということは、お寺の公共性の観点から、檀家さん(門徒さん)たちが、法人であるお寺の運営管理に参画し、意見をのべ、発言も、本来はできるのです。 また、お寺の財産管理についても参与できることになっているのです。 宗教法人法では、その宗教法人に関与している利害関係のある人たちの意思を無視することは許されないのです。 だから、宗教法人のお寺は、住職個人のもの、住職一家のもの、ではないのです。 最近、都市部での檀家離れやお寺の存続の危機が問題視されています。 それは、住職が、お寺の公共性を考えずに、開かれたお寺の運営をおろそかにして、私物化してきたツケなのです。 宗教法人という看板を盾に、お墓を建てる石屋さんと組んで、お互いの利益を享受して、檀家さんたちに何の相談もなく、霊園経営にうつつを抜かす、あざとい住職もいます。 すべてのお寺がそうだとは言いませんが、住職が高級外車を乗っていたり、跡継ぎの息子が、社会経験もなく、人に頭を下げる苦労やお金を稼ぐ苦労も知らないで、「若(わか)さん」などと呼ばれて幼い頃から持ち上げられていたり、そんな人が住職を継承して、そういう住職とこれから先、つきあいたいと思う檀家さんがいるのでしょうか。 そうして、檀家さんが入院しても見舞いにも行かず、亡くなったら自分の出番だと葬祭式場へ出向いて、その家の経済状況を配慮することなく、一律にお布施を要求し受け取ってくる。 そういう住職を「ハゲタカ住職」と言うのです。 次回は、私物化、形骸化されたお寺の檀家をやめたいという人に向けた記事を書きたいと思います。 関連