尾崎豊さんとhideさん 追いつめる生き方 川越市のおかやす学(岡安学)です。 なぜか夜、尾崎豊さんの歌のユーチューブを見ていたら、たまたま尾崎豊さんのお墓がある霊園の近くに行くことになりました。 また、初めてお会いする僧侶の方が、なぜか尾崎豊さんのことを話題にわたしに話しかけてきます。 尾崎豊の墓石になんて書いてあるか知っていますか? いいえ、知りません。 「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」と書いてあるそうですよ。 わたしは、その言葉を聞いて、「なんで尾崎豊さんは、そういう自分を、告白してさらけ出さなければ、生きられなかったのだろうか」と心の中で思いました。 わたしたちは、告白しないから、生きていられるからです。 尾崎豊さんは、1992年4月25日早朝、東京都足立区の民家の軒先に全裸で倒れていました。 その身体は傷だらけだったと言われています。 26歳の若さでした。 もう一人、なぜか夜になるとユーチューブで見ていたミュージシャンがいました。 また、あるお寺に立ち寄ったら、偶然、そのミュージシャンの映画を製作したというお手紙を目にすることになりました。 元XJAPANのhideさんこと、松本秀人さんのことです。 hideさんは、1998年5月2日、朝、自宅マンションのドアノブにかけたタオルに首を入れた状態で発見されました。 33歳の若さでした。 浄土真宗本願寺派の築地本願寺で告別式を行ったので、たくさんのファンが押し寄せたことが記憶に残っていました。 そうして、今も、築地本願寺の中に、hideさんを追悼する場所が設けてあります。 なんで、最近、この二人のユーチューブを見て、歌声を聞いていたのだろうか。 わたしにもよくわかりません。 その歌い方に引き寄せられたのでしょうか。 まるで、いのちを燃やしているような凄みを感じます。 二人が生きていたら、わたしと同世代なので、それなりの歳になっています。 でも、夭折(ようせつ・若くして死ぬこと)しているので、いつまでも若いまま、記憶の中に刻まれています。 老いることは辛いことですが、若さゆえに生じる葛藤や感受性を抱えて生きることも辛いものです。 わたしは、若い頃に戻りたい、とは思いません。 いのちを削るような感受性も失われています。 でも、鏡の中の自分の顔を見て、なぜか後ろめたさを感じています。 関連