「我がまま」を生きることとは
川越市のおかやす学(岡安学)です。
仕事で、通夜や葬儀を通して、故人と向き合うときに、家族とは何なのだろうか、と考え込んでしまうことがあります。
事情があって、詳しくは、書けませんが、家族の誰かが亡くなることで、その家族が抱えていた問題があぶりだされることがあるからです。
それは、夫婦関係であったり、親子関係であったり、兄弟姉妹関係であったり、します。
夫婦は血のつながりはありませんから、別れてしまえば、それまでのことかも知れません。
しかし、親子、兄弟、となると、血のつながりがあるだけに、容易に他人だと割り切れない心情があると思います。
家族は仲が良くて当たり前。
そのようなことは、ひとつのビリーフ(価値観や信念)に過ぎません。
場合によっては、幻想だ、と言っても過言ではありません。
仲を良くする努力が必要な家族もあるわけです。
そうした努力の影で、家族の中で波風立てないために、自分を押し殺している人もいると思います。
こどもは、親の期待の中で、成長するとは、限りません。
親は、こどもの理想の中で、生きることもできません。
兄弟だから、と言って、助け合うとも、限りません。
過日、わたしが、通夜葬儀をした、故人の男性は、親子の縁を切られたような状況での死でありました。
切られたというよりも、自ら縁を切るように、家を出て行って、亡くなったと言ったらいいのかも知れません。
生前は、自由奔放に、世界各地を、仲間とともに、旅をして、60代で、生涯を閉じられました。
厳格な親の期待の中で、一家の長男として、生きることに耐えられなかったのかも知れません。
親は既に先に亡くなっていました。
自分の死期が近づくと、世界を旅した思い出の地へ散骨してほしいと希望していました。
ところが、臨終間際になると、不仲だった親のお墓の中へ納めて欲しい、と親族に言ってきたそうです。
自由奔放に生きていても、心のどこかに痛みを抱えていたのかも知れません。
この原稿は2018年12月7日に書いたものを修正しています。