神さまのお恵み

自業自得の中でしか生きられない

川越市のおかやす学(岡安学)です。

『開運の作法』清水祐尭(しみずゆたか)著、現代書林出版の中に大変興味深い話が書いてありました。

サブタイトルは「なぜ彼女は車椅子になったのか?」です。

清水さんは、カイロプラクティックの施術で開業しています。

清水さんの施術室に車椅子を使用している女性の患者さんが来ました。

清水さんは、なぜかその女性の車椅子が気になって仕方がなかったそうです。

ほかにも車椅子の方は来院していたのです。

が、どうしてもその女性の車椅子が気になり、それが不思議でならなかったそうです。

その女性は半身不随で歩くことができません。

どうして車椅子になってしまったのか、そっと尋ねました。

数年前に交通事故に遭ったとのことでした。

しかも事故後の手術で、ありえないような医療ミスがありました。

手術は失敗し、半身不随になってしまいました。

事故の様子といい、手術の難易度といい、半身不随のなるようなものではなかったそうです。

それなのにどういうわけか不運が重なった末、半身不随になってしまいました。

女性の話を聞いているうちに、清水さんの心の中でなにかがひらめいたそうです。

そして、無意識に、こう女性に尋ねていました。

交通事故に遭う前から、障害者専用のスペースに車を止めていませんでしたか?

女性は、買い物に行くたびに、障害者専用のスペースに車を止めていたと答えたそうです。

清水さんはこのことについてこう書いています。

神さまは、その方が堂々とそのスペースを使うことができるように、「お恵み」をくださった。願いを聞き届けてくださったのです。その結果が、車椅子だったわけです。

女性は、この道理の説明を受け入れて、清水さんの施術を受けることで、1か月後には、歩けるようになったそうです。

清水さんはこの出来事について、こう述べています。

自分の行動は、すべて所作であり、自分でつくった作法となってしまっていたのです。

思いもよらないできごとは、実は自分が引き寄せていた「運」ということなのです。

仏教では、業(ごう)という言葉があります。

カルマとも言います。

行為のことを意味します。

3つの行為があります。

身体で行ったことを「身業(しんごう)」と言います。

口で言ったことを「口業(くごう)」と言います。

心の中で思ったことを「意業(いごう)」と言います。

「身口意(しんくい)の三業(さんごう)」と言います。

その業がなにかの縁によって、わたしになにかしらの結果をもたらすのです。

自業自得は悪いことだけでなく、良いことにも使える言葉になるといいですよね。

自業自得は他人を裁くために使う言葉ではありません。

そういうあなたも自業自得の中でしか生きられないのです。

如来は、その愚かさを慈しんでおられます。

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