運がいい人

エゴを満たす運に良いも悪いもない

川越市のおかやす学(岡安学)です。

最近、運を良くする方法などといった書籍やキーワードを目にします。

でも、そのほとんどは、エゴ(自我)を満たす方法ばかりです。

仏教的な視点から言えば、エゴを満たすために、運を良くしようとしても、かえって運に見放される結果をもたらされます。

なぜなら、そこに「徳(とく)」がないからです。

過日、日本の実業家の稲盛和夫さんがお亡くなりになりました。

稲盛さんは、京セラ(旧・京都セラミック)やKDDIの創業者です。

稲盛さんを改めて有名にさせた実績の一つは、日本航空(JAL)の再建でした。

日本航空は2012年、会社更生法の適用を受けていました。

稲盛さんが日本航空の会長の役を78歳のとき、無報酬で受け、わずか2年でV字回復させました。

その稲盛さんは、いわゆる世の成功者としての地位を得ていたにもかかわらず、65歳のとき、京都の臨済宗妙心寺派の円福寺で、得度し、僧侶となっています。

65歳で初めて托鉢したときのことをこう述懐しています。

初冬の肌寒い時期、丸めた頭に網代笠(あじろがさ)を被り、紺木綿の衣、素足にわらじという姿で、家々の戸口に立ってお経を上げて、施しを請う。いわゆる托鉢の行は慣れない身にはひどくつらく、わらじからはみ出した足の指がアスファルトですり切れて血がにじみ、その痛みをこらえて半日も歩けば、体は使い古しの雑巾のようにくたびれてしまいます。

 それでも先輩の修行僧といっしょに、何時間も托鉢を続けました。夕暮れどきになって、ようやく、疲れきった体を引きずり、重い足どりで寺へと戻る途上、とある公園にさしかかったときのことです。公園を清掃していた作業服姿の年配のご婦人が、私達一行に気づくと、片手に箒を持ったまま小走りに私のところにやってきて、いかにも当然の行為であるかのように、そっと五百円玉を私の頭陀袋に入れてくださったのです。

 その瞬間、私はそれまで感じたことのない感動に全身を貫かれ、名状しがたい至福感に満たされました。

 それは、その女性がけっして豊かな暮らしをしているようには見えないにもかかわらず、一介の修行僧に五百円を喜捨することに、何のためらいも見せず、またいっぺんの驕りも感じさせなかったからです。その美しい心は、私がそれまでの65年間で感じたことがないくらい、新鮮で純粋なものでした。私は、その女性の自然の慈悲の行を通じて、たしかに神仏の愛にふれたと実感できたのです。

(稲盛和夫著「生き方」)

また、稲盛さんは、京セラの事業で、マスコミから猛烈な批判を浴びて、精神的に追い込まれていたとき、円福寺の西片老師に会って、相談しています。

そのときのことをこう述懐しています。

老師は私の話に対し、開口一番、次のようにいわれたのです。

「たいへんでしょうが、しかたありません。生きていれば、苦労は必ずあるものです。」

 そして、続けざまに次のようにお話しくださったのです。

「災難にあったら、落ち込むのではなく喜ばなくてはいかんのです。災難によって、いままで魂についていた業が消えていくのです。それぐらいの災難で業が消えるのですから、稲盛さん、お祝いしなくてはいけません」

 この一言によって、私は十分に救われた思いがしました。世間からの批判も、「天が与えたもう試練」と素直に受け取ることができたのです。まさに、いかなる慰めの言葉にもまさる最高の教えを老師は授けてくださり、私は人間が生きるということの意味、そしてその奥底に横たわる偉大な真理までを学ぶことができました。(稲盛和夫著「生き方」)

その稲盛さんがNHKの番組でインタビューを受けていたとき、とても印象の残った言葉がありました。

それは以下の言葉です。

この世の中は、みんながうまくいくようにという、生きとし生けるものすべてがうまくいくようにすばらしい追い風がふいているのです。

だれもその追い風に気が付かないのですが確かに吹いています。

自分の熱意で、能力、努力で、頑張れる仕事もあります。

でも、これは自力の仕事です。

一方で、生きとし生けるものすべてがうまくいくようにという追い風は、宇宙の中を流れている他力の力なのです。

他力の力を受けるということがなければ偉大なことはなし得ないのです。

他力の風が吹くとき、つまり他力の力を受けるには自ら帆を上げなければならない。

そのとき、その帆が、つまり、考え方が、心が汚い、卑しい、自分さえ良ければいいという利己的な帆を上げるのか。

それとも、世のため人のためという愛に満ちた帆を上げるか。

自分さえ良ければいいという帆は、いくらいい風が吹いても力にならないのです。

きれいな愛に満ちた帆だからこそ大きな力を受けるのです。

人間の、究極の、実相は、エゴです。

でも、ほんとうに、運がいい人、とは、自らのエゴを見つめ、その虚しさを受け入れ、それを乗り越えている人です。

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